探求の終わり。
つい一週間ほど前。
長年に渡る探求の旅を終えた。
長年、とは言ったものの、実際にどのくらいの長さだったのかは定かではない。
もし過去生とか転生とかいうものが本当にあるのであれば、それはきっと、気の遠くなるような長さだったのではないかと感じている。
この、いまここにある肉体の時間だけで考えても、それは40年近い。
そんなに長い探求がなぜ突然終わったのか。
具体的な話はぼちぼち綴りたいと思うのだけど、簡単に一言で言うと。
「大きな勘違いをしてた、という気づきが起こった」
その一言に尽きる。
多くの人が「それ」を様々な名で呼ぶ。
ソース(源)、とか
神、とか
真我、とか、
空とか、まぁいろいろ。
そのどれもが間違ってはいないのだろうし、好きなように呼べばいいと思う。
「それ」はどう呼ばれようが気にしてはいないし、言葉で語れるようなものでもない。
ここから見える「それ」は純粋エネルギーで、なにもない。
でも、多くの人が語るように「それ」は、無なのに有であり、
全てが生まれ全てが帰ってゆく、唯一不変な場所。
ではなにをずっと勘違いしてたのか。
それはまさに、「それ」には人格があると思っていた、ということ。
いや、本当にない。ないと思う。
その時は正直ショックで、バスの中で少し泣いた。
でも泣いたのはマインド、エゴ、思考であって、もちろん本質の「それ」ではない。
きっとマインドは長年、「それ」と会話できるのを楽しみにしていたんだと思う。
そして誰かが囁いた。
「その思い込みがなかったら、もっと早く探求が終わってたかもね」と。
でもそれも違うのだ。
この一週間、ほぼ「それ」と在ったからわかるのだけど、全ては起こるようにしか起こらない。
このタイミングでしか、「それ」は起こりえなかったのだ。